他大学との協定と県指定

下水道の歴史は古く紀元前にまで遡る。しかし、工学的汚水浄化は近代以降を待つ必要があった。下水道整備は大規模な事業なので、関連法令体系も国によって違いがある。ここでは日本について示す。法令(下水道法)上の定義は、下水排除のための、管路施設、処理施設、ポンプ施設その他の補完施設の総体で、かんがい排水施設と屎尿浄化槽を除く。処理施設から排出される汚泥は、産業廃棄物となる。

早朝から深夜まで終日交通量が非常に多い。一般に東京23区の道路は日曜祝日の交通量は少ないが、環八は日曜祝日も渋滞するのが特異的である。高井戸周辺や瀬田周辺は、交通容量不足から慢性的な渋滞となっており、その渋滞長は東京都内でも屈指である(詳しくは#渋滞を参照)。なお、環状八号線から中央自動車道へ行くには、上高井戸一丁目交差点で甲州街道に入って調布ICまで行く必要がある。これは、高井戸ICからは中央自動車道に入れないためである。元々の構想は、旧東京市が1927年(昭和2年)に発表した「大東京道路網計画」に含まれていたものである。当初から現在の東京23区の西側半周のみを結ぶ計画であった。しかし、実際には着工らしい着工はされぬまま、ところどころルート上の既存の道路を「環状道路」に指定した程度で、戦時体制に入って計画は殆ど凍結された。

安政5年(1858年):徳川家茂 慶応2年(1866年):徳川慶喜寛永9年(1632年)頃:井伊直孝

1889年(明治22年)5月1日、前月施行の「市制・町村制」に基づき東京府は府下に東京市を設け旧15区の区域をもって市域となして、区部の財産管理を移掌した。東京市の市制は、同3月公布法律12号「市制中東京市京都市大阪市二特例ヲ設クルノ件」(市制特例)によって一般市とは一部異なる変則的な市制だった。東京府知事および府書記官が市長を兼務しており、市役所も市職員も置かれなかった。その一方で従来の15区はそれぞれ単独で区会(議会)を持ち、東京市の下位の自治体とされた。1894年(明治27年)、麹町区有楽町にドイツ・ルネサンス様式の鉄骨レンガ造2階建の東京市役所が完成する。同地は現在の千代田区丸の内三丁目に当たる。このときの建物は戦災で焼失し、戦後に新庁舎に建て替えられ、現在はさらに東京国際フォーラムに建て替えられている。1898年(明治31年)10月1日、東京・大阪両市有志同盟の請願が結実し「市制特例撤廃法」が成立、東京市に一般市制が施行され、東京府庁内に市役所が開かれた。府知事の市長兼務は廃止されて東京市長は官選となり、初代市長には松田秀雄が任命された。1926年(大正15年)からは市議の互選により市長が選出されるようになった(詳細は「東京都知事一覧」を参照)。

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